693: 名無しさん@おーぷん 21/06/27(日)15:07:11 ID:WDUR
丸一年別居してたんだが、この度やっと離婚届を提出。

恨みだらけの内容、吐き出しですが、これで最後だと思ってご容赦下さい。


一年前、義母の一周忌を終えてから離婚を切り出した。
夫は断固拒否。
「お互い50にもなって今更離婚とか必要あるか?
俺の事が嫌なら同居人だと思えばいい。
伴侶がいるってことで得られるメリットも多いはず」

って。

「何も心に響かない。
一周忌が終わったら離婚するって決めていた。
アパートも契約済ませているので、近日中に出て行くから」

と言って家を出た。

早くカタを付けたくて話し合いの場を設けても、コロナを理由にして出てこない。
最初は夫婦で話し合って協議離婚で済ませたかったけど、あまりに逃げ回るものだから弁護士をお願いして内容証明送ったりなんだかんだして、漸く離婚にこぎつけることができた。
きっともっと早くこうしていたら、人生を無駄に消費せずにすんだんだろう。

『離婚したい』と思ったのは、夫も義実家も全員が敵になったから。

義母が亡くなる3年ほど前、痩せたし声が掠れて聞き取りづらくなって、本人は
「風邪が長引いている」
って言ってたけど
「ちゃんと人間ドックとかやってます?」
って聞いた。
でも義母は
「別に体調は変わらない」
と言って聞き流された。

それから少し経って、義母から
「人間ドックを一度も受けた事がない」
って聞いた。
義母が言うには
「甲状腺が悪くて月1で病院に言ってるし、血液検査も時々やってる。
だからどっか悪かったら分かるはずだから」

って。
「甲状腺に特化した血液検査では分かることも分からないだろうし、何もなければ安心なんだから人間ドックは受けた方がいいですよ~」
って言ったけど
(たぶん病院そのものが嫌いなんだろうな)
って感じで聞き流され、以降は何も言わなかった。




結果、それから4~5ヶ月ぐらい経ってたと思うけど、『食事が飲み込みづらい』とか言ってかかりつけ医に相談したら大学病院を紹介されて検査を受け、
食道がんが見つかった。
見つかった時には進行がんになってて転移もあった。
義母自身は
「(私)ちゃんに言われた時にすぐに検査受けてたら少しは望みがあったかしらねぇ」
って、その言い方は後悔してるふうではあった。

けどそれを聞いた義姉・義弟が(義父は鬼籍)、
「気が付いてたなら何故引っ張ってでも病院に連れて行ってくれなかったのか」
と私を責めた。

最初は
(みんなショックが過ぎて、誰か(私)のせいにでもしないと辛くてたまらないんだろうな)
と思って黙ってた。
ところが夫までもが
「気が付いてたのに何故もっと…」
とか言い出して。
私、夫に言ってたんだよ。
「お義母さん、風邪だって言ってるけどそれにしては長すぎるし、一度もドック受けた事ないって言うから勧めたんだけどスルーされちゃった。
(夫)くんからも受けるように言った方がいいんじゃない?」

って。
でも義母同様にスルーされた。
「そんなもん、回りがやいやい言っても本人がその気にならないと無理」
って言われたよ。

なのに、なんなの?
今になって私のせい?
義姉や義弟だって、別に遠方に住んでたわけでもあるまいし、たまにしか義実家に行かない私でも異変に気付いたのに、実子が気付かないってどんだけ母親に無関心だったのよ。

694: 名無しさん@おーぷん 21/06/27(日)15:07:26 ID:WDUR
それから義母が亡くなるまで、事ある毎に義姉や義弟から
「(私)ちゃんが気付いてたのに…」
って言われたよ。
そして葬儀の時には
「(私)ちゃんだって自分の親なら首根っこ引っ張ってでも連れていくんだろうにね。
うちは姑の嫁イビリじゃなくて逆だね」

ってふたりが話してるのを聞いてしまった。
私、葬儀の時に泣いてたのは、義母が死んで悲しいからじゃなくてそういうことを聞こえよがしに言われまくったから。

葬儀が終わって自宅に戻って、夫にその辛さを訴えたら
「でも気持ちは分るだろ?
俺だって『もしおまえが病院に引っ張って行ってくれたら』って思ったし」

って言われて、完全に心が折れた。

その後、四十九日、百日法要でもまるで私が見殺しにしたみたいに、どいつもこいつも。

家の中では家庭内別居みたいに会話がなくなった。
子無し共働きだったら、本気で離婚しようと思えば直ぐにでも家を出られたけど、『一周忌までは』と待って、準備万端で離婚宣言。

私だって、
(もっと強く『病院に行け』と勧めていればもしかしたら…)
と思ったよ。
後悔もした。
だけど、元々嫁姑の関係が良いわけでもなく、お互いに思う事に蓋をしながらの大人の付き合いだったけど、私は私なりに言うべきことは言ったし、夫にも相談もした。
なのに何故私ばかりが責められるのか。
(所詮、嫁なんてその程度のものなんだ)
と思ったら、やってられなかった。

夫に対しても、最後は憎しみしかなかった。
晴れて赤の他人になれた今でも憎しみが燻ってる。
子供ができないことで、あんなにも悩み、あんなにも辛かった三十代だったけど、
(子供ができなかったのは、この日の為にだったのかな)
とすら思えてくる。

義姉も義弟も独身。
だから義父母からのプレッシャーは凄かった。
『あんたらの息子に種がないのに、子供が出来たらどうすんだアホか』
と言うことを丁寧に説明してやっと静かになったぐらい。
そこまで言わないと黙らない義父母だった。

唯一既婚者だった夫も独身に戻った。
3人仲良くこのまま朽ち果てればいい。



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